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カーラブルーニの愛した男たち

アツアツの子連れ婚前旅行を経て、あっさりと入籍してしまったカーラ・ブルーニ。いやー、本当にファースト・レディになってしまいましたね。現在どこで暮らしているのか、ニュー・アルバムの制作は予定どおり進んでいるのか、はたまた、この結婚がいつまで続くのか…。あれこれファンは気をもんでいることでしょうが、本連載「私が愛した男たち」では、あくまでも音楽的側面から、カーラが深く関わってきた男たちを紹介します。

(松山晋也/MATSUYAMA Shinya)

 ルイ・ベルティニャック Louis Bertignac
カーラの音楽的後見人にして、フレンチ・ロックを代表する人気ギタリスト

ルイ・ベルティニャック
ジャック・イジュラン
アルバム『Irradie』('75 )
テレフォヌ
アルバム『Telephone』('77 )
ルイ・ベルティニャック
アルバム『Longtemps』('05)

 前回のジュリアン・クレールからだいぶ間が空いてしまったが、本連載の第3回目は、ルイ・ベルティニャックの登場である。カーラのデビュー・アルバム『ケルカン・マ・ディ〜風のうわさ』に続き、昨年の2作目『ノー・プロミセズ』でも、プロデューサー/アレンジャー/ギタリストとして全面的に制作を仕切った、カーラの音楽的後見人とも言うべきヴェテラン・ミュージシャンだ。
 ジュリアン・クレールへの歌詞提供をきっかけに、ソロ・シンガーとしてナイーヴと契約を結んだカーラは、自宅でギターを弾き語りしながら一人でコツコツとデモ・テープを作った。そして、ある程度出来上がったそのテープをカーラが託した相手が、かつてテレフォヌというフレンチ・パンク・バンドのリーダーだったベルティニャックである。以前僕が行ったインタヴューで、ルイとのつき合いの経緯について、彼女はこう語っている。
 「ルイとは私が15歳の時に知り合いました。私は当時テレフォヌの大ファンで、親友と一緒に彼の家を突然訪ねたのです。彼がどこに住んでいるかを調べて。きっとお邪魔だろうなぁと思いつつも呼び鈴を押したら、本人が出てきて、コーラを出してくれました。とても感じの良い応対で、その後すぐに仲良くなりました。だから、もう20年以上の親しい友人なんです。彼や彼の妻のこと、彼らの生き方も大好きです」
 デモ・テープを前にカーラが考えていたのは、そのデモにある音の自然な感じを極力残したいということだった。だが、それを実現してくれるアレンジャーがなかなか見つからず、困った末に相談したのがベルティニャックである。
 「ルイは、デモの雰囲気を壊さずにアレンジしてくれました。このアルバムのヴォーカルのうち80%はデモにあった音をそのまま使っています。全体に、キッチン・レコード(宅録)と呼ばれるタイプの作品ですね。ここでは1950年代の古いマイクや、本物のアコースティックな楽器を使いました。結果的に温かい雰囲気の良い作品に仕上ったと思います。エレクトロなものは一切使っていません」
 デモ・テープにあった雰囲気やスタイルを残すということ以外に、カーラがベルティニャックに要求したのは、声を後方に追いやってしまうイギリス風のミキシングはしないで欲しいということだけだったという。元々、フランスのポップ・ミュージックの伝統的特長の一つは、ヴォーカルを前面に出すということにある。何よりもまず肉声が中心にあり、サウンドはその声を支えるものでなくてはならない。フランス音楽のエロティシズムの秘密は、かような録音/ミキシングの特性とも関係していると思われるが、そういう意味で、カーラのデビュー作、そしてまったく同様の制作手順を踏んだ2作目『ノー・プロミセズ』共に、すぐれてフランス的なものになったと言えるだろう。

 さて、そのルイ・ベルティニャックだが、彼は1954年、アルジェリアのオラン(ライ発祥の地ですね)に生まれ、3歳でフランス本土に家族と共に移住した。フランス全土で学生運動の炎が燃え盛っていた68年(14歳)に初めてギターを手にし、音楽活動を開始。その名がシーンで徐々に知られだしたのは、ジャック・イジュランのバック・バンド Super Gougatsにギタリストとして参加した頃からだった。イジュランは、ピエール・バルーのサラヴァ・レーベル黎明期に、ブリジット・フォンテーヌと共にレーベルを支えたシンガー・ソングライターで、70年代前半にサラヴァを抜けてからは、前衛的なロック・サウンドを追求し始める。その際に結成されたのがSuper Gougats で、ベルティニャックは74〜75年に在籍した。イジュランの75年のアルバム『Irradie』でそのプレイが確認できる。ちなみにベルティニャックをイジュランに紹介したのは、ベルティニャックの当時のガールフレンドだったシンガー/女優ヴァレリー・ラグランジュ(ゴダールの「ウィークエンド」や「男と女」等に出演し、ゲンズブールの曲を歌っていた)である。
 やがてイジュランのもとを離れたベルティニャックは、自分のバンドの結成を決意。まず、高校時代の友人である女性ベイシスト、コリーヌ・マリノー(Corine Marienneau)と、同じく当時の友人のギタリスト、エリック・レヴィ(Eric Levy)と組んだトリオが、シェイキン・ストリート(Shakin' Street)なるハード・ロック・バンドだった。が、一般的人気を得るまでには至らず、数ヶ月で解散。
ちなみにレヴィは、近年PRIDEにおける魔王ヒョードルの入場曲「エネ・ヴォラレ・メッツァ」でも知られるバンド、イーラ(eRa)を率いるギタリストとして、更にサントラ作曲家としても活躍している。
 そして76年、ベルティニャックが新たに結成したバンドが、前述のテレフォヌだ。テレフォヌは、ジャン=ルイ・オーベール(Jean-Louis Aubert/ヴォーカル&ギター)、リシャール・コリンカ(Richard Kolinka/ドラム)、そしてコリーヌ・マリノーとベルティニャックという男3人、女1人の4人組。ジャン=ルイ・オーベールとリシャール・コリンカは、元々セモリーナというバンドを組んでいたが、シェイキン・ストリート同様、うまくいかずに解散。つまりテレフォヌは、似たような経緯をたどった二つのバンドのメンバーが合体してできたものだった。彼らは当時のフレンチ・パンク・シーンを牽引するグループとして圧倒的な人気を誇り、86年の解散までに5枚のアルバムを発表した。一応そのアルバム名を列挙しておくと、『Telephone』(77年)、『Crache Ton Venin』(79年)、『Au Coeur de la Nuit』(80年)、『Dure Limite』(82年)、『Un Autre Monde』(84年)である。『Crache Ton Venin』と『Un Autre Monde』は、『革命児』及び『夢にさよなら』なるタイトルで、日本盤もリリースされた。僕は記憶にないのだが、80年代前半には来日公演も行われたようだ。
 フランス音楽評論家の向風三郎氏によると、テレフォーヌは、アングロ・サクソン的な縦ノリのロック・ビートにフランス語をナチュラルに馴染ませることに初めて成功したフレンチ・ロック・バンド、という評価が現在は固まっているそうで(『ポップ・フランセーズ 名曲101徹底ガイド フランスは愛と自由を歌い続ける』)、当時彼らは、特にリセ(高校生)の女の子たちから絶大な支持を得ていたという。カーラもそうした熱烈ファンの一人だったのだろう。ちなみに、カーラがベルティニャックの自宅に押しかけたのは15歳の時だから、テレフォヌのラスト・アルバムが出る頃である。
 バンド解散後は、ベルティニャックとマリエノーはまず、ベルティニャック・エ・レ・ヴィジトゥール(Bertignac et les Visiteurs)を結成して、『Bertignac et les Visiteurs』(87年)、『Rocks』(90年)2枚のアルバムを発表し、その後ベルティニャックはソロ活動に入った。これまでにリリースされたソロ・アルバムとしては、トニー・ヴィスコンティのプロデュースにより93年に出た第1弾『Elle et Louis』以下、『Bertignacoustic』(94年)、『96』(96年)、『Bertignac Live』(98年)、『Longtemps』(05年)、『Live Power Trio』(06年)がある。特にカーラのデビュー作をプロデュースした後に制作された『Longtemps』では、カーラも歌詞を提供。とりわけ、二人でデュエットした「Les Froleuses」は、アルバムの大ヒットを後押ししたのだった。
 「デモ・テープを彼に渡して、彼が私の作った骨格を残したまま、音楽的要素を加えて、そこに更に私が歌を入れていく。この工程はとても心地よくて気に入っているんです。彼にとっては私が目の前にいない間に、私の歌や世界観をよく理解する時間があるし、私はルイが肉付けした曲を持ち帰って、もう一度聴き直し、歌い直す時間が持てるから」
 過去2作でのコラボレイション・ワークに関して、カーラはかつてこう語っていたわけだが、この秋に出るとアナウンスされているニュー・アルバムには、ベルティニヤックが関わっていないと聞く。ちょっと心配だったりもするが、カーラのこと、きっと新しい方法で期待以上の作品を作り上げてくれることだろう。
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